小豆袋は本当に創作?信長に天下への野心はなかった!金ヶ崎の戦いの真実【どうする家康】

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目次
1:12 金ヶ崎の戦いの原因 若狭武田氏をめぐって足利義昭と朝倉義景が対立する
7:03 金ヶ崎の戦いの経過 将軍権力を見せつけるために大軍を動員する 
10:18 金ヶ崎城からの撤退 お市の方が浅井氏の裏切りを信長に伝えた? 
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参考文献
久野雅司『織田信長と足利義昭の軍事的関係について』
(久野雅司『織田信長政権の権力構造 (戎光祥研究叢書16)』)
https://amzn.to/40S163B
久野雅司『足利義昭 (シリーズ・室町幕府の研究 第2巻)』
https://amzn.to/43hfnc6
谷口克広『織田信長合戦全録 桶狭間から本能寺まで (中公新書)』
https://amzn.to/419em4s
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金ヶ崎の戦いは、信長が自分の野心のために朝倉氏を攻めた戦いと思われていますが、実際は反足利義昭勢力を討伐するための戦いで、信長は幕府の安定のみを考え戦っていました。
そのため、浅井長政の裏切りは、幕府軍を率いる信長にとっては理解不能で、しばらく信じようとしなかったとされます。
また、お市の方が兄の信長に小豆袋を送った話も創作とされてはいますが、全てが作り話であるとも言えず、お市の方の浅井家での身分の高さから考えれば、信長に浅井氏の裏切りを伝えていても不思議ではありません。
今回は、金ヶ崎の戦いが起きるまでの信長、義昭、朝倉義景の関係、浅井氏の裏切りによって信長が敗走するまでの金ヶ崎の戦いの全貌について紹介します!
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【画像引用】
大河ドラマどうする家康公式サイト
https://www.nhk.or.jp/ieyasu/

#どうする家康 #日本史 #歴史

17件のコメント

  1. レキショック様
    信長が自分が天下を取る野望はなく、室町幕府再興を目的としていたということですか。信じない人も多そうですね。信長が京都に拠点(自分の城)を持たなかったのが、その表れでしょうか。

  2. 朝倉討伐に至る流れがわかりやすい。ドラマでもこれをかいつまんででいいからやれよって思う。オリキャラの陳腐なエピソードに時間使ってないでさ。

  3. 大河の脚本はほんと駄目だよな。
    どうでもいいところが長く、歴史のつながりや時代背景の説明はなし。
    この脚本なら、どうもしないで天下取れそう。

  4. 16:18 その義昭が後に信長を見捨て浅井朝倉、武田、本願寺等を入れた反信長包囲網に加わるんですよね。まあ最終的に義昭は信長に京都から追放され室町幕府は事実上崩壊。浅井朝倉も同じ年に信長によって滅ぼされる。

  5. 金ヶ崎の戦いの経緯とその本来の目的が、一般に知られている事情とは異なっているのが、よくわかりました。若狭武田氏は一般に知名度が低いからか、端折られているのでしょうか。それにより、若狭出兵だけで終わるかもしれなかった戦いが、最終的に越前侵攻に変質してしまったため、信長の意図まで曲解されてしまう結果となったのは、当の信長本人も不本意でしょうね。

  6. 「天下(畿内)は朝倉殿持ち給え」と言いたくもなりますなあ。
    朝倉がやりたがらないから俺がやってやってるのに、何なんだ、と。

  7. 私は前々から 浅井長政の裏切りは美化されすぎてるんじゃないかと思っていたんです
    ` 彼ははっきりと明言してますからね
    信長を討ち取り織田領を切り取ると
    いかなる事情によるとはいえ
    通告もなしに 織田との同盟を破棄して
    騙し討ちにして良いのか

  8. ドラマで「阿月」という少女が出てきたとき、小豆餅の話としては早すぎるな、と思っていたら、小豆袋への絡みだったんですね。それにしても今年の大河は、創作部分が多いですね。

  9. 残された史料に沿って合理的に解釈するなら一般的な理解は動画のとおりになるはずなのに後世の創作で歪められた信長像、という印象ですね
    信長の最初から天下取りを狙っていたと印象付けられた例だけでなく、どうして歴史解釈ではこういうことが起こるのか、一度主様に検証してもらいたいです

  10. 阿月の創作は、創作の中では良かったものかなと思いました。
    大河のオリジナルキャラがはじめて、よく知られるストーリーとリンクしておもしろかったと感じました!
    私は常陸国の住人なのですが、各国の国内争いはたくさんあったのですね。学びが深まります!恐れ入ります!

  11. 確かに信長は自分が擁立した足利将軍の権威を活用して、他の大名を指揮する立場を得られたので、幕府再興を推進した面はあります。

    一方で信長は将軍足利義昭から副将軍や管領を打診されても断っています。足利義昭擁立の前には、信長は足利一門である尾張守護の斯波氏を追放しており、信長の尾張統治に足利一門の守護は無用という政策を取っています。そして義昭が各国の守護を任命する際に、信長自身が本拠地の美濃の「守護」に任命されたこともありません。

    相反しているようですが、信長は幕府再興に尽力しつつも、信長自身は幕府から一定の距離を取っていたようにみえます。建武の新政に協力しつつも、自身は要職につかずに一定の距離を置いていた足利尊氏と妙に似ています。

  12. 金ヶ崎の退き口は今まで大河で何度も取り上げたエピソードだから変化球をやったんですね、そこで賛否両論有るのは当然だと思います、家康が主人公だから創作物でスルーされがちな若狭武田や池田勝正を出すのもやりづらいでしょうし。

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