参考文献
桑田 忠親『桃山時代の女性 (日本歴史叢書 新装版 30)』
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小和田哲男『北政所と淀殿―豊臣家を守ろうとした妻たち』
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森実与子『戦国の女たち 乱世に咲いた名花23人 (学研M文庫) 』
https://amzn.to/45ZWF9w
杉山博, 渡辺武, 二木謙一, 小和田哲男 編『豊臣秀吉事典 コンパクト版』
https://amzn.to/47WPMYp
阿部能久『戦国期関東公方の研究 (思文閣史学叢書)』
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田端泰子『北政所おね:大坂の事は、ことの葉もなし』
https://amzn.to/45D0vpq
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豊臣秀吉は側室だけで16人は抱えていたとされていますが、名前が分かっていない者も多く、身分の低い人物も合わせればもっといた可能性もあります。
秀吉の側室には前田利家の娘や蒲生氏郷の妹など臣従の証に差し出された身元のはっきりした女性が多く、足利氏、山名氏など名族の娘も多くいました。
正室 寧々が秀吉の生前は、実子を産んだ淀殿よりも上に立つなど一貫して頂点に据えられていたのも特徴的で、秀吉は多くの女性を妻に迎えながらも、彼女たちは寧々をトップとして明確に序列付けられています。
今回は、秀吉が出世していく過程で増えていった15人の妻たちについて一人ずつ紹介していきます!
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#どうする家康 #日本史 #歴史
5件のコメント
女大好きな秀吉、年とって、続けて子が出来るだなんて、あるわけない。。信じる方が馬鹿。
家康や信長に比べて、確かに身分のある人の娘が多い印象ですね。信長の娘三の丸殿、前田利家の娘摩阿など初めて知りました。病弱で前田屋敷に住んでいたとは、不思議な側室ですね。京極竜子は有名ですが、彼女が側室になったから大名に戻れた弟京極高次は、ちょっと微妙な立ち位置に感じられます。彼女は美人でナンバー3の地位だったのですね。宇喜多秀家は、昔からややこしい履歴でよく理解できませんでしたが、この動画でスッキリ分かりました。父と死別し、母が秀吉の側室になったので自身も養子となり一門同様に扱われ、前田利家の娘豪と結婚し、五大老の一人となったのですね。一人だけ若いのに最高位に就いているのが、以前から不思議でしたが、出自を知り納得です。その彼も、西軍に付いたので八丈島に流罪になるのも、盛者必衰めいています。武勇に優れた甲斐姫も、面白いですね。こういう幾人もの側室を序列付け束ねていた寧々の統率力は、簡単ではないことだけに彼女の賢さをうかがい知れます。
レキショックさんは今頃、笠置シズ子や淡谷のり子に関しての資料を集められてる最中なのかな❓
これだけの数、これだけの質の側室がいれば、跡継ぎも選び放題、藩屏も立て放題で、豊臣家も安泰だったんじゃなかろうか………?
秀吉にまともな種さえあれば。
(いや、逆に跡継ぎ問題で弱体化しちゃうか………?)
秀吉は子が出来にくかった体質上、
男児欲しさに貴族や他国の王族から
多くの女性を娶った英のヘンリー8世と同様
血に拘ったのではと邪推してる