真山知幸の大河ドラマ解剖

真山 知幸

真山 知幸
伝記作家・偉人研究家

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2026.10.31(土)

家康を観念させた朝日の一言、秀吉が密かに用意していた強硬策

 今回の放送では、松下洸平演じる家康が「大政所様まで差し出すとは、そなたの兄たちは血も涙もないのか」と言うと、倉沢杏菜演じる朝日が「何をおっしゃっているのです。母はあくまで私の具合を心配して見舞いに来るのだと聞いております。私は別に来てくれなくてよいのです」と応じた。

 さらに朝日は、家康の出方次第では世間体が悪くなるとして、こうくぎを刺した。

「世間は関白が自らの母を差し出してまで、徳川に上洛を迫ったと見るでございましょう。であればこそ、私が母に来るなと言うと世間にはこう見えまする。徳川家康は世間知らずの臆病者、と。それはよくありませぬ」

 これには家康も「わしの負けじゃ。上洛いたす」と観念。朝日に向かって「そなたといい、お母上といい、豊臣のおなごは皆、大したものじゃの」と感心してみせた。

 史実でも家康は、秀吉が母まで差し出したことで、ようやく上洛に応じた。だが、秀吉はそれ以外にも手を打っていた。天正14(1586)年11月4日付で上杉景勝に宛てた「豊臣秀吉判物」には、次のように記されている。

〈家康於無上洛者、三川境目ニ為用心、殿下被成御動座、北国衆其外江州何も宰相ニ相添、関東江可差遣旨相定候〉

(家康が上洛しない場合は、三河との国境に備えて秀吉自らが出陣し、北国衆や近江の諸勢力を豊臣秀長に従わせ、関東へ派遣する方針を取り決めていた)

 つまり、家康が上洛に応じなければ、秀吉は三河との国境に備えて自ら出陣し、弟の秀長を関東へ派遣するつもりだったのだ。その後の顛末についても、こう記されている。

〈家康上洛候て令入魂、何様にも関白殿次第与申候間、別而不残親疎、関東之儀家康と令相談、諸事相任之由被仰出候〉

(家康が上洛して臣従し、「すべては関白である秀吉のお心次第です」と申し出たため、秀吉は親しい者も疎遠な者も区別することなく、関東のことは家康と相談したうえで、万事を上杉景勝に任せると伝えた)

 なるべく戦わずに済むように懐柔を図る一方、相手の出方次第では強硬策に打って出ることも辞さない。いかにも用意周到な秀吉らしい。

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