ドキュメンタリー映画『愛し合ってるかい? 忌野清志郎が教えてくれた』が10月2日に公開された。本作は、2025年にデビュー55周年を迎えた忌野清志郎の”歌と言葉”を語り継ぐドキュメンタリーだ。
本編は忌野清志郎本人のライブと貴重なインタビュー映像、そして彼と親交のあった著名人たちのインタビュー映像から構成。高校時代からの友人である三浦友和(俳優)をはじめ、竹中直人(俳優・映画監督)、三宅伸治(ミュージシャン)、泉谷しげる(ミュージシャン・俳優)、梅津和時(サックス・クラリネット奏者)、角田光代(作家)、金平茂紀(ジャーナリスト)ら多彩な顔ぶれが出演。それぞれが、清志郎との出会い、思い出を語るが、その多くは、彼の人となりを深掘りするものではない。その語りから見えるのは、ファンなら誰もが知る清志郎がそこにいるだけだ。
先に述べたように、このドキュメンタリーは”語り継ぐ”ためにある。新しい世代、新しい時代に、”忌野清志郎の歌と言葉”を。本作は彼にもう一度会うための映像である。
すべての奴らに自由を
2009年5月2日。ロックスター・忌野清志郎がこの世を去った。5月9日に行われた葬儀は「青山ロックン・ロール・ショー」と題され、一般的なお別れ会とは異なり、生前のライブ音源や楽曲が大音量で流される「ロックンロール葬」となった。会場である青山葬儀所には約12時間にわたって、ファンや関係者など約4万3000人が駆けつけた。あれから17年、ではなくデビュー55周年として、忌野清志郎のドキュメンタリー映画が公開される。
RCサクセションに始まり、数々のバンドやソロ活動を通して名曲を生み出した忌野清志郎。本ドキュメンタリーは、デビューから現在まで、忌野清志郎ゆかりの人々のインタビュー、当時のライブ映像を交えて、時系列で展開される。


学園祭でのバンド演奏を目の当たりにした、高校時代の同級生の三浦友和。渋谷の宮益坂にあったフォーク喫茶「青い森」にて、RCサクセション、古井戸と共演し、そのスタイルと、10人にも満たない客に向かい、汗びっしょりでパフォーマンスをする彼らを絶賛した泉谷しげる。また、清志郎に憧れ、大学時代にライブに通い親交を深めた竹中直人は、当時、清志郎は「怒りに満ち溢れていた」と証言する。
華々しくデビューしたRCサクセションは、1976年頃どん底を味わう。ライブはあっても前座が多く、いままでRCの前座だった井上陽水の前座を彼らが演ることもあったそうだ。1976年1月にリリースされたシングル「スローバラード」は数カ月で廃盤。同年10月11日にリリースされた、「わかってもらえるさ」を最後に、RCはアコースティックから、エレキ化し、バンド形態を変更する。セックス・ピストルズのジョニー・ロットンに影響を受け、清志郎がステージでは髪の毛を立てたり奇抜なメイクを施すようになるのは、この頃からだ。

1980年1月21日「雨あがりの夜空に」発売。5月にシングル「ボスしけてるぜ」、6月にライブアルバム「RHAPSODY」、10月にシングル「トランジスタ・ラジオ」、12月にアルバム「PLEASE」と立て続けにレコードを発売。パンク・ロックとR&Bに影響を受けた楽曲、グラムロックを彷彿させるメイクでのステージが話題となる。清志郎の髪型やメイク、ファッションを真似する若者が現れ、音楽誌のみならず『アサヒグラフ』や『an・an』、『宝島』、新聞各紙でも取り上げられ、サブカルチャーのアイコン、ロック少年少女のカリスマとして認知され、社会現象となる。ステージ上から観客への「愛しあってるかい?」という呼びかけは一世を風靡した。


泉谷しげる曰く「客の大半が女子で、神格化していた」当時、清志郎はとてもエネルギッシュだった。しかしながら、コンサートとレコーディングに追われる過密スケジュール、勝手に作られたコンピレーション・アルバム、所属事務所から受けた低待遇を公然と批判、一時訴訟沙汰となった。そんな流れのなか、1988年6月、反戦・反核・反原発を掲げたカバーアルバム「COVERS」を制作するも、発売元である東芝EMIの親会社・東芝が原子力関連企業だったため、発売中止となる。政治系ニュースが流れる中、音楽アルバム発売中止の報道は、当時、世間を大いに騒がせた。こうして、話題をさらった「COVERS」は、同年8月、発売元を変えリリースすると、オリコン初登場1位を記録する。
1982年、シングル「い・け・な・いルージュマジック」でタッグを組んだ坂本龍一が清志郎を語る。
「(清志郎は)シャイで少年のような人。でも歌では雄弁で、ほとんどの日本人が言いたいことを言っていないのに、ひとりで勝手に言ってる(笑)。これは僕も強く思っていることで、きっと清志郎もすごく言いたかったことだと想像するんだけど、『なんで日本がこんなに、言いたいことを言えない国になっちゃったのか?』ってことなんですよ。それを多分清志郎はずっと言ってるんですよ」
清志郎は自由だ。それでいて、徹底的に自己満足。ウケるために、売れるためにすることはない。理屈じゃなくてやりたいことをやればいい。

そして、THE TIMERS(ザ・タイマーズ)の登場である。1988年から1989年にかけて、ライブイベントや学園祭にゲリラ的に出没。土木作業員風衣装に全共闘学生運動を思わせる出で立ち、権威をおちょくる風刺的な曲で異彩を放つ。生放送の「ヒットスタジオR&N」(CX系)での事件はあまりにも有名だ。1989年10月に出演したザ・タイマーズは、メドレーの中の一曲「偽善者」を番組に無断で、FM東京を罵倒する歌詞へと差し替え、放送禁止用語を連発した。これは、清志郎が作詞提供した楽曲「谷間のうた」が、FM東京で放送禁止になったことを受けての行動だった。
ただの愛と自由と平和を歌った優しい顔のおじさん、ではない。尖っていたし、怒っていたし、ふざけていた。若い世代に勘違いしてほしくないので、諸事情により本作に収められていない事実を補足として書き記しておきたい。
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