【クソ天才理論】小学生でもわかるカントの哲学

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カントの主著『純粋理性批判』を読もうかと思いましたが長すぎるのでやめました。すいません。なので『純粋理性批判』について解説してくれてる本を読みました。ソクラテスのアレもそうですが、無知であったり知りえないことを明らかにすることは良いことだと思いました。もっと積極的に能力の足りなさを明らかにした方がいいと思いました。その場合能力の限界を出すことを恥ずかしいことだと思うのは危険だと思いました。能力の限界を出すことを恥ずかしいと思うことを恥ずかしいと思った方がいいと思いました。でも思いのほかそういう活動はムズいと思いました。あと例のウイルスについて言うと、「我々は現時点ではウイルスの○○については知りえない」みたいな発表あると良さそうだと思いました。あと経済学は不可知な概念が多用されちゃってる感は個人的にあります。あと影響与えた人物ランキングで言うとデカルト以上マルクス以下じゃないかと個人的に思ったんですけど入ってませんでした。

・その他用語
超次元の範囲について考える学問・・・形而上学
感覚(五感)から像を得る能力・・・感性
感性から得られた像に概念を付与する能力・・・悟性
感性・悟性によって認識を得ること・・・経験
元々人間に備わってる、推論をする能力・・・理性
経験的認識を得る前から備わっている、先天的なこと・・・アプリオリ

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34件のコメント

  1. ・その他用語
    超次元の範囲について考える学問・・・形而上学
    感覚(五感)から像を得る能力・・・感性
    感性から得られた像に概念を付与する能力・・・悟性
    感性・悟性によって認識を得ること・・・経験
    元々人間に備わってる、推論をする能力・・・理性
    経験的認識を得る前から備わっている、先天的なこと・・・アプリオリ

  2. お釈迦さんと似ているなぁ。四十九日は後付けで本人は「死後?そんなの分かるわけねえじゃん!」と言ってたみたいだし。
    そもそも仏教は「苦しみを取り除くために目の前の現実を(人に迷惑かけない範囲で)どうポジティブに捉えるか」という哲学だからね

  3. でも実践理性によって、自由や魂の不死や神のような超越的?超感性的?なものが要請されるんやで! っていうのが第二批判でしたっけ?

  4. この動画の中、いくつかの解釈された概念がカントの理論と完全に違いと思います。

    まず、ぴよぴーよさんが説明した概念を見よう。

    「我々に対する理解できない世界に語るな」これは、カントより「オッカムのウィリアム」の思想に近いかなと思う。カントの『純粋理性批判』のはじめの部分が読んだだけでもわかる通り、彼は人間の悟性と感性が触れない「物自体」が存在すると考えた。つまり我々の経験以外の世界が存在するの事だ。

    そして「五感が情報をゲットできる範囲の学問こそが科学だ」の思考。それについても、カントは大きく離れたと思う。カントは、我々の思考の部分が知性と理性によって支えたと考えている。特に理性の応用の能力の部分は先天的、先験的に与えられたと主張する。カントはその先験的の部分についての思考が、司法裁判所に行われる我々の思考の根源的な部分に関する裁判みたいだから、その著作のタイトル通り、「純粋理性批判」と呼んでいる。その先験的の部分を掘り出すたびに認識する可能性が与えられたーー人の思考の根源構造は、理性である。カントは『純粋理性批判』の中で、次のような数学の例を挙げた。
    「1=1(つまり同一律あるいは矛盾律)は先験的(アプリオリ)な総合判断が必要(理性が必要)ですが、1+1=2は経験的総合判断(経験が必要)です。」
    科学は1+1=2みたいに総合的研究であるが、その前、1=1のような命題は必ずその総合的研究の前に存在する、とカントは主張した。つまり、科学にとって理性の作用が不可欠だ。例え前文の「科学」を「自然科学」に書き直してもおかしいしか感じない。なぜなら経験的総合判断とアプリオリな総合判断が全く違うから。

    「理性のパワー、お前が思うほどすごくねえから、調子乗んな」それも前述通りに完全に間違っていると思うね。

    「科学の範囲でもなく、超次元の範囲でもない、第3の範囲がある」カントは二律背反を解決するため、プラトンのような二項対立の英知界と現象界を用いてコスモスの構造を説明した。もし第3の範囲があれば、それも超越論的(transcendental)にしか存在しない。だが、その超越論的な世界も、英知界と現象界に包含関係が存在しないと思う。英知界と現象界と超越論的な世界の中に存在するのは映写関係であるはず。

    「意志の範囲は科学ではない、学問によって、考えられるべきだ」言うことがないだ。

    以上のように、ここで紹介された思想はもはや別人だ。「五感が情報をゲットできる範囲の学問こそが科学だ」は一番やばい。カントよりグノーシス派に近いと思う。ここで問題を指摘する原因はもちろん非難じゃない、【知識の正確さ】みたいなものを維持するでもない。ただただあるものを紹介する時、自分の論述対象をしっかり理解していたかどうか、それが最も重要な物だと思う。紹介する対象が完全に違ったら、その紹介の価値も消えるかもしれない。でもこの解説動画は小学生に分からせるかどうかが分からないが、こんなに改ざんしたらある意味素晴らしいかもしれない。

  5. 知れない範囲、五感の範囲、意志の範囲
    じゃあ、超自我の範囲、自我の範囲、本能の範囲に分けられそうね

  6. これウンコが核だったら本当その通りだと思う。皆過去の偉い人も希望的観測を否定したくはなかったんだけども、希望的幻想も否定したくはなかったんだな、
    カントによって線引きされて人間がやるべき実行論者と夢見がちな理想論者の区別をつけたんだ···しかしながら今でも怪しい奴は世界中に、ごまんといる現実(笑)

  7. まぁでもその理性の暴走が必要だと思わせる合理性も存在してきたから宗教が生き残ってるんだよな
    宗教の本質はその世界が本当に存在することじゃなくて、そう信じることにあるだけだからな
    なぜ宗教が生き残ってきたのか学問として探求しない人は理性の暴走を無くすことはできない

  8. SF作家の星新一さんが
    「原子力発電?ではまず原子というものを見せて下さい。目で見えないものは信じられない」

    ってことを言ってました
    科学の範囲でなく、とんちの領域でしたか

  9. うんこによって理解のしやすさが爆上がりするのでうんこは偉大だ……!

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